【人物取材】植物を愛する女性への取材(他)


植物とともにある生活 

「植物は自分の分身ですね。他の人が見てもわからないかもしれないけど、自分にはわかるのよ。自分に元気がないときは花も元気がないの。こちらが話しかけなくなるから。どんな野草でも大きな木でも、それは同じですね。それに、自分の嫌いな木は決して育たないの」  


小雨の降る三月の日曜日、陶磁器の店「一輪」で、楽しい話に花が咲いた。  


今回お話をいただいたのが、82歳になる〇〇さん。20年以上前に山歩きをはじめたのがきっかけで、そこに咲く山草に興味を持ち始めた。現在ひとりでお住まいの自宅には、スミレやヒトリシズカ、カラスウリ、エンドウマメ・・・とたくさんの山草があるという。  〇〇さんはときおりこの陶磁器のお店に顔をだし、育てた草花を飾る。この日も、白と赤のクリスマスローズ、食べるより見るのが楽しいとおっしゃっていたフキノトウ、ワビスケが陶磁器に飾られていた。その素朴な草花は、土という自然で作られた陶磁器とよく合う。

 

「山歩きは20年前からしていました。今はもうやりませんね。足元が危ないと人さまに迷惑しちゃうでしょう。私は一人歩きが好きだから見つからないようにあの世に行っちゃえばいいけどね、見つかっちゃったら気の毒しちゃうでしょう」といって素敵な笑顔を見せてくれた。山歩きの思い出はいつまでも鮮明だ。 


「カラスウリがあったり、山ブドウがあったり、うれしくってうれしくって、キャーキャー騒いじゃった。今、カラスウリは里にはほとんどありませんね。八ヶ岳にはコマクサが岩かげにいっぱいありました。持って帰りたかったけど、そこの温度と下界の温度は違うので、とってこなかった。良かったーという思いだけで過ごしたの。育たないと思うものはとってきません。コマクサの花が、大きな岩とか石ころのあいだからでていたのは何とも言えない良さで、この世界にいってみたいなーと思いました」 


〇〇さんは鎌倉なら隅から隅まで訪れ、休みの日は山に行った。だから日曜日もほとんど家にいなかった。山歩きをやめた今、日曜日にゆっくりできることがうれしいという。〇〇さんは神社やお寺にもよく行ったという。 


「そうね、犬も猫も、トンボもカエルも、クモもハチもみんな大好きね。軒先も好きなのよ、あの形が。一番要注意なのが人間かな」そう言ってくったくなく笑う〇〇さん。  植物や動物などの生きるもの、そして地蔵や軒先などの動かないもの、すべてが〇〇さんにとっては自分を映し出す鏡となった。彼女はそれらに話しかけ、見返りは求めない。そしてただ好きなところへ行き、好きなようにそれらに接してきたという。神社やお寺に行くのも決して信仰心からではない。  


「私は信仰っていう言葉が嫌いなのよ。それは他力本願のような気がするから。お寺に行っても、ものを頼んだことはないの。挨拶してくるだけ。こんにちは、ってね。何かお願いごとをして届かなかったら、自分が苦しいだけじゃない、それだったら言わないほうがいいのよね」 


食の神様には、いつも米や野菜を食べてます、ありがとね、と呟く。家にある薬師如来やお地蔵様、エジブトに旅行に行った友人にもらった木彫りの人形も〇〇さんの対話の対象となる。しかし物体を物体以上のものと、過大評価はしない。話しかけるその言葉は、自分に対するものなのだ。彼女は他人にも、ぐちをこぼさない。  


「本当は、ぐちりたいですよ。先は短いんだから何とかしてくれって言いたくなるの。ところがそんなことを言ったところで、誰も、何もしてくれないでしょう。自分の心が頼りなのよ。泣くのも自分、笑うのも自分。だったら笑ったほうがいいや、おいしいものを食べたほうがいいや、ってなります」  


戦時中。空襲がきて、布団だけもって飛び出した〇〇さん。釜もない、鍋もない、箸もない。それでもみんなが助け合って食べてこられた。彼女はそのとき、人間の底知れないエネルギーを知った。一つの七輪を交代で使ってサンマを焼いて食べた日々には、辛い中にも楽しさがあった。当時禁止されていたワンピースをまとい、ハイヒールを履いて、髪の毛を伸ばせと言われても伸ばさず、自分に正直に生きてきた〇〇さん。物質的に豊かになったこの時代になっても、お金には執着がない。  


「まあ、その日一日なんとか暮らせればいいか、という感じなの。何の欲もありません」 


人間関係についても、こんな話をしてくれた。


「人間関係は、易しいようで難しく、難しいようで、何かひとつつかめると、素晴らしいものなのね。嫌なヤツだな、と思っていても、いいところが見つけられて、それがこちらに響いてくればいいんだから」


 そして人間の生涯はお祭り騒ぎとお通夜であり、人間という存在そのものには裏と表があるという。そこが植物と違うところなのだ。  


「植物やものには、一面しかないのね。人間のように裏、表がないの。自分が植物を育てながら、植物に育ててもらっていると思っています。植物は自分の鏡なんです。うてば必ず響いてくれます」 


「朝、目が覚めたとき、『〇〇さん、目が覚めたよ、覚めなきゃいいのにな、覚めたのなら、しょうがないな、じゃ、行くか』ってね、そう呟くの。そうして身軽にお地蔵様にお線香をあげて、お茶をあげて、仕事に行くの。」  

淡々と流れていく日々を、人は精一杯生きている。今日のこの日を〇〇さんと過ごせたことに感謝した。

◆園芸の季刊誌に執筆した記事です


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◆入江佑未子という名前でライター活動をしていたころの記事です。報酬のない媒体で連載する余裕がなく、一記事しか書けませんでした!

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